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トップコラム現地からのリポートトゥールスレン

写真・文 高橋智史(フォトジャーナリスト)

2007年11月12日更新
「トゥールスレン」
写真1:ヴァン・ナット氏。
      写真11〜15:虐殺された人々の写真。

「今にも自分が殺されるかもしれないという恐怖と毎日、闘っていました」ヴァン・ナットさん(61歳)は、そう語ってくれた。

カンボジアでポル・ポト政権(1975年4月〜79年1月)が誕生した1年後の1976年、首都プノンペンに「トゥールスレン刑務所」通称、「S21」という高校校舎を改造した政治犯収容所が設置された。ポル・ポト政権時代、1万4千人以上の人々がこの収容施設に捕らえられた。生き残る事ができたのはヴァン・ナットさんを含めた7人だけだった。


写真5:当時の様子を再現した人形。

写真6:収容されていた人々にはめられていた鉄の足枷。


当時のポル・ポト政権は教育、文化、信仰、貨幣、病院などの存在を全否定し、すべての人々を強制的に地方に移住させ、集団農業や、過酷な重労働に従事させていた。また、旧政権の幹部や、教職者、医師、学生などの知識階層、裏切り者などのレッテルを貼った人々を次々と捕らえていった。そして、トゥールスレン刑務所をはじめとする各地に点在した収容施設で凄惨な拷問を加えた後、それらの人々を粛清していった。3年8ヶ月に及んだポル・ポト政権時代、推定150万人の人々が亡くなったと言われている。


写真7〜9:トゥールスレン内に展示されている鉄のベッド。多くの人々が凄惨な拷問をこの上でうけた。 写真10:トゥールスレン内。薄暗い階段脇から光が入る。

写真16:自殺を防ぐ、または逃亡阻止の為、校内は鉄のワイヤーが覆っている。
写真17〜19:人々を収容していた独房


ヴァン・ナットさんがトゥールスレン刑務所に捕らえられたのは1977年12月の月末だった。一つの部屋に50人くらいの人々が押し込められた。鉄の足枷をされ、寝返りをうつことも充分にできない状態の中、毎日、水のようなお粥しか与えられなかった。2週間後くらいから亡くなる人々も増え始めた。1ヵ月後のある日、兵士に呼ばれ、ポル・ポトの肖像画を描く事を命じられた。絵描きの仕事をしていたヴァン・ナットさんは「何としても生き延びたい」という思いで、命じられる絵を描き続けた。絵を描いている間、人々が拷問をされる叫び声を聞いたり、その現場を目撃したりした。

「絵描きだった事が私の運命を変えました。当時は破壊の時代でした。あの時代、多くのカンボジアの人々の命が奪われていきました。幸運にも生き残った私には人々の苦しみを伝える責任があります」


写真2〜4:ヴァン・ナット氏がトゥールスレンでの体験を描いた絵。
         

生還してから1年後の80年から、ヴァン・ナットさんは自らのトゥールスレン刑務所での体験を何枚も絵に描き続けている。

ヴァン・ナットさんの描いた絵は現在、当時の記憶を残す為に博物館となったトゥールスレン刑務所の中に展示され、多くの人々に「あの時代」を伝え続けている。





写真20:ポル・ポトの彫像。1998年に死亡した。 写真21:トゥールスレンが解放された時、14人の虐殺体がおきざりにされていた。その人々の墓地。




写真22:トゥールスレン刑務所。現在は博物館となり、多くの観光客が訪れている。



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