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カンボジア通信 |
2004年6月11日 |
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08 カンボジア人の名前について考える |
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ふと、カンボジア人の名前について考えてみた。
初めてまともに知り合ったと言えるカンボジア人は、「笑う」という意味の「名字」(※1)を持つ人だった。「笑う」さんは確かによく笑うが、「笑う」は「名字」なのでよく笑うからそう名付けたというものでもないだろう。 まあ、日本では「笑う門には福来たる」なんていうから、いい名前として合点がいく。ちなみに「笑う」さんの下の名前はカンボジアの神様の名前をとったものなので、全体としては「笑う●●●神」といった意味の名になる。なんだかとても幸せになれそうな名前だ。
この「笑う」さんの友達に「美しい知恵」さんがいる。彼の名前の意味を考えたのは今日が初めての事だが、聡明さを感じさせるいい名前だったんだなあ。
もう一人、考えてみた。「笑う神」さんと「美しい知恵」さんの共通の友達の「どこ」さんだ。「どこ」という名は、日本人の感覚からするとどう解釈すればいいのかちょっと困る。日本語の「どこ」は別に縁起がいい言葉ではない(もちろん悪くもない)。だが、「どこ」というのは場所が不明ということなので、僕の感覚では名前として用いるとマイナスイメージがつきまとうような気がする。それを子供の名前にした「どこ」さんの親は、どういう願いを込めて「どこ」と名付けたのだろう。
日本人の友達はこの疑問に対し、 「子供のころ、あちこち歩き回ってどこへ行っちゃったのかわからなくなり、親を困らせたことが多かったんじゃないの?」 という説を提唱してくれた。でも、それって生まれてからある程度時間が経ってるってことだよな。この説が妥当だとすると、カンボジアでは日本のように「生後2週間以内に届けなくてはならない」といった決まりはないのだろうか。
自分の頭では、考えてわかるような問題ではなさそうだ。
※1:日本人の場合、家族の名字はみな同じだが、カンボジアでは親(または祖父)の名をとって子供の名の一部とするため、本質的な意味で東アジアの文化にあるような「名字」とは言えない。
[例1]父親の名をとった場合 山田太郎(父)→太郎次郎(子1) 太郎信介(子2) 太郎義男(子3)
[例2]祖父の名をとった場合 山田太郎(祖父)→太郎次郎(父)→太郎和徳(長男)
6/15
追記
『ベトナムの中のカンボジア民族』大橋久利、トロン・メアリー(古今書院)によると、[例1]の子1の場合は「父・太郎の子・次郎」ということを表しているそうだ。 |
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