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姫様にょっき |
2006年09月15日 |
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親と子の言語 |
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子供にどの言語を習得してほしいかについて、妻と私には意見の違いがあります。
◎日本語(私の母語)
妻・私とも習得希望。
◎クメール語(妻の母語)
私は習得希望。妻は、文字の習得までは不要という意見。
◎英語(私はそこそこ、妻は全然)
私は学校英語ができればいいと考える。妻はより積極的。
第三の言語である英語については、親がいずれも母語として持たない以上、どうせたいしたものにはならないんじゃないでしょうか。それよりも、クメール語・日本語を両方確実に母語としてほしい、というのが私の考えです。
それに対して妻は、クメール語は世界のどこでも役に立たないのだから、そのかわり英語を学んでおいたほうがよいのではないか、という考えのようです。
クメール語については、日本在住のカンボジア人はほとんど、子弟に積極的に習得させることはしていないようです。難民のインタビューを読んでも、また実際にお会いしたいくつかの家族に接しても、そのことを強く感じます。この状況は、他国で何代にもわたって自文化を保つ漢族などと比較すると、とても対照的です。その底流には妻と同様の考えがあるのでしょうか。それとも、クメール民族の本質としてのある種の「殻の弱さ」なのでしょうか。
なお、日本の学校英語については、妻は
「日本人の英語と、カンボジア人の英語は、“違ってる”からね」
という表現で、使えないということをやんわりとほのめかしてくれたりもしています。その認識の背景には、カンボジアで一定数の「外国人としての日本人」と接していた彼女の経験が、ベースとしてあるのだろうと思います。とほほ。
せっかく両親が違う母語を持っているのだから、子供にはその両方を身につけて得してほしい。けど、だからといって3つとか4つは欲張りすぎ。そういう子供たちは結局、どの言語も不十分にしか習得できていない…。そのことを、私はいくつかの家族を実例として知りました。こうした知見と考察をふまえて、私なりに考えた結論。それが、上記の「バイリンガル希望」には反映しています。
異国にあって、ニ言語を均しく母語とすること。それは、なかなか理想どおり五分五分とはいかないのが現実のようですね。でもなるべく、それに必要な環境を整えてやることで、四分六分ぐらいにはなってくれたら嬉しいな…。
という考えであいかわらず、私は、理にもほとんどクメール語で話しかけています。ところがそんなある日、妻は私に
「理には日本語で話してやって」
と言いました。
それ以来、ちょっとは日本語でも話すようにはしています。が、それでは横にいる妻がほとんど理解できてません。なので、結局クメール語でもそれを言い直したりしている、一人同時通訳状態な夫がここにいる今日このごろです。
まあ子育てというものは結局のところ、母親の影響が大なのでしょうけどね。端的にいえば、こないだ私はクメール文字を覚えるための絵本(ペン=セタリン著)などもカンボジアから買って日本に持ってきましたが、それを実際に子供にやらせるかどうかは、妻の胸先三寸なわけです。
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