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トップコラム柏野葉っぱ『姫様にょっき』コンポントムの遺跡
姫様にょっき  2006年02月10日
コンポントムの遺跡  
姫様がカンボジアへ帰ってしまい、書くことが全然ないので、これまでどこにも書いていなかったカンボジアがらみのエピソードを、ここに少しずつ書いていくことにした。

コンポントムで石の遺跡に行った。

町から森の中を車で走ること30分。電線もまだ来ていない村の先にその遺跡はあった。多少崩れてはいるが、比較的保存状態の良い大きな四角い砦のような建物だ。

6世紀の遺跡だと若い気象台長は言うが、本当にそんなに古いのか。日本では石舞台の頃だから、残ってること自体は不思議ではないが。無駄に巨大かつ精巧な遺構を経巡っていると、たぶれごころのみぞ、という言葉が脳裏に浮かぶ。カンボジア人は歴史を書き残さない。それもインド人から受け継いだ芸風なのか。当時このモニュメントを人はどう呼んでいたのだろうか。

遺跡のまわりは森が切り開かれていて暑かったが、さいわい藁の涼み小屋兼売店が1軒あって、椰子や砂糖きびを飲むことができた。ここへはあまり来る人はいないとおばちゃんは言う。アンコールと異なり、宗教施設として現用されている気配はない。文字どおりの遺跡であるようだ。

コンポントムにはまた、アツ小学校というのがあった。

この通りカタカナと漢字で「アツ小学校」と門の横に大きく彫られているのだ。ちょっと細すぎる明朝体で。ちょっと広すぎる字間で。

正門入ってすぐ傍らの小さな記念碑を囲む四角い花壇は綺麗に手入れされている。ちょうどそれを手入れしていた老紳士が我々に会釈をした。PKOの時にコンポントムに配属されてこのあたりで殺されたボランティアの青年がいた。記念碑は日本語とクメール語で語る。彼のお父さんがお金を出してこの小学校を整備した。だから青年の名前の一部を採って、ここはアツ小学校。

広い校庭に子供たちが走り回る。この記念碑に彼のたましいの一部が居るなら、あのおおぜいのカンボジアの子供たちが平和に遊び学ぶ様子を毎日眺めて、きっと来たかいがあったと彼は感じているに違いない。などと感傷的な気分にひたってみたり。除幕式には日本のエライ人たちが来たようだ。彼を丸腰で送り出し、結果的に殺した側の人々が。

コンポントム。日本語ならば大湊。

プノンペンとシエムリアプを結ぶ国道6号線の途中にある。バッタンボンとはサープ湖を挟んで反対側にあるため、プノンペン−シソポン間のバスや乗合自動車はここを通らない。あまり大きな町ではないが、ひと通りのものは揃っていて、そのゆえの落ち着きとゆるやかさがある。

とんでもない高い山のてっぺんに寺があった。

町を出てしばらく行くと、田んぼのまん中にそこだけにょっきり、フランスパン型の山がある。麓の参道からまっすぐに天に向かって、千段ぐらいあろうかという石段が上っている。私たちガイジンが登ろうとする気配を見せると、子供が二人、どこからともなく現れた。麓の売店のおばちゃんの子供のようだ。ついて来る。

ついて来るというのは正確ではない。息も切れ切れに登る私の横をすりぬけ、二人は身軽にすいすいと我先に階段を登っていく。ときおり振り返って私を見下ろして待つ。500段くらい登って、もうダメだ休もうと思ったところに、無人の缶ジュース売店があった。次の瞬間、子供たちはそこの店主になっていた。「買う?」と問いかける瞳。買うわい! これほど限界効用の高い商品もそう世の中にないと思われる。

冷えた甘い汁が喉をどんどん通って、これを生き返ると言わずして何をそう言うか。

よくある赤い1mほどの氷タンクに缶ジュースが山ほど入っている。毎朝これをここまで運び上げ、毎夕運び降ろすとのことだ。しかし値段はそこらへんと同じであった。なんとずるくなく、うまくないやりかただろう。

2本飲んでようやく少し人心地ついた。せっかく来たので頂上までは意地でも行かねばならない。子供たちは私がもうジュースを買わないと知るや、また登って行ってしまった。というかすでに頂上に着いて、二人だけで勝手に遊びまわっている。頂上はけっこうな広さだった。石の大きな寺が、半ば崩れて建っている。誰もいない。子供たちと私たちだけだ。

ちょうど夕陽が沈む時だった。地平線がすごいことになっていた。

子供たちは頂上では私たちを客にすることをやめ、ただの人なつこい子供に還っていた。笑顔笑顔笑顔。私の仲間が降りて行ってしまっても、この小さな生物たちはなおもしつこくまとわりついてきて、カメラを指さす。写真を撮れという。この日は珍しくカメラを持って出ていたのだ。何枚か直立不動を撮る。日に灼けた顔が夕陽にそまって測光が悩ましい。

「そろそろ降りようか?」

クメール語で話しかけたら、一瞬びっくりした顔をしたが、彼はすぐにその表情を隠し、テレ笑いともバツの悪さともつかない不思議な笑顔を見せながら、簡単なクメール語で応えてきた。あるある。わかるわかる。クメール人はこういうところが日本人そっくりである。

山に吊り橋があった。

人一人の幅。谷川を越えるためのものだ。高さ100m、長さ100m程度。ひもで繋がれた木の板たちが、足を踏み出すと激しく揺れる。と、眼下100mほど先の川中に、半裸で水浴びしている女性が数人いたのが目に入った。むこうが上方のこちらに気づいたのもそれと同時だったようで、慌ててサンポットを胸に巻き岸へ引き返す。絵に描いたような
「キャーッ!」
なシーンだ。ふだんよほど人の通らない橋らしい。そう思ったら恐ろしくなって私も引き返した。

『COLD NIGHT』というレストランがこの町の最高級だ。

赤いテーブルクロス。藁で作った門。上品な物腰のウェイター。よく気がつくビール嬢。店名は「涼しい(さわやかな)夜」というニュアンスにしたかったのだろうか。オープンエアーの夜の空気。チンチョの声。うまい料理。うまい氷ビール。

その時テーブルで撮った写真を見て、後日日本で再開したプノンペンでの友人が、
「これCOLD NIGHTでしょう」
と言った。すごい眼力だ。だてにカンボジアじゅうに学校を建ててない。そしてやはり、寒い夜という店名のことが話題になった。「あれって、Gが間違えてCになってるんじゃない?」と彼女は言った。GOLD NIGHT、なるほど!

クメール語には濁音があまりない。カンボジア人はゴとコをあまり厳密に発音し分けない。まあそれか単にGのレタリングのヒゲがもげ落ちただけかもしれないが…。

小柄なエリートは、黒海のほとりに留学し、未来を嘱望されてカンボジアに帰国して、いまはここ地元コンポントムで気象台の長をやっている。私とほぼ同い年ぐらいに見えるが、まわりに自分より切れる人間がいない人特有の自信に満ちあふれ、夜の店でもじつに気持ちよくふるまっていた。偉ぶらない、強がらない、笑顔を絶やさない。殺されつくされてしまう前の、カンボジア人本来の知識層の美徳って、もともとこういう感じだったのかなあ…と感じさせてくれる。

カンボジアの新しい世代の希望なのかもしれない。
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